About Micronesia 知ろう、ミクロネシア連邦。

文化・歴史
文化

ミクロネシア連邦は近年の歴史的状況と人々の共通の願いによって、ヤップをはじめとする4州が
統一された国家ですが、今も異なる習慣や伝統が各地域に深く根ざしており、一つの国とは
いっても、さまざまな文化が混ざり合った異種混合体であるというのが実態です。

個々の民族は、今も各自の伝統や言い伝えを大切に守り続けており、4州のそれぞれには
固有の文化および伝統があります。同時に、何世紀にもわたって続いてきた共通の
文化的・経済的連携観念も存在します。例えば、伝統的な大家族制やクラン(氏族)の重要性
などの文化的な類似性は、どの島でも見られます。

各州で見られる独自の文化的特性は、特に旅行あるいは投資を考えている人にとっては重要と
なってきます。例えばコスラエ州では、教会が人々の生活に強い影響力を持つのに対し、
チュークでは、今でも氏族関係が重要な要素を持っています。ミクロネシア連邦で最も伝統的な
社会制度を持つのはヤップで、今も厳しい身分制度が残っています。 ポンペイ州は
過去15年間で最も急速に西洋化、発展しました。これは、連邦政府が置かれたことによる
部分も大きいでしょう。しかし、今でも伝統的な制度が日々の暮らしに重要な意味を
持っています。

言語

ミクロネシア連邦4州は海で大きく隔てられています。西洋諸国との交流が始まる以前からの
こうした孤立した環境によって、各文化や慣習の独自性が強まっていったのでしょう。
そのため、英語は公用語ですが、国内では、ヤップ語をはじめ、ユリシー、ウォレア、
チューク、ポンペイ、コスラエ、ヌクロ、カピラマランギといったマラヨ・ポリネシア語族に
属する8つの主な固有の言語が使われています。

音楽

ミクロネシア連邦には、たくさんの口頭伝承(歌などで昔話等を伝えること)があり、
その一部は貴重な音楽遺産でもあります。そして伝統音楽は、時代を経て受け継がれて
います。ラジオを各島のローカル局へ合わせると、ミクロネシアポップの独特なサウンドが
聞こえてくることと思いますが、こうしたサウンドもまた、各世代へ受け継がれてきた
ものなのです。ミクロネシアポップは、色濃く伝統音楽の影響を受け継いでいながらも、
同時にアメリカンカントリーミュージック、ウェスタン、レゲエ、さらにはユーロポップ
など、さまざまな世界の音楽の影響も受けています。

産業

ミクロネシア連邦の主要産業は、水産業・観光業・農業です。

水産業における大きな収入源は、外国船が支払う年間入漁料となっています。
ミクロネシア連邦が有する排他的経済水域は太平洋地域で最大級であり、太平洋諸島地域で
最も多くカツオが生息する地域だといわれています。
また、一帯には広大な珊瑚礁や礁湖があり、オオジャコガイやキリンサイ、海綿、真珠、
グリーン貝、またその他の魚、海藻などの養殖が将来発展していく可能性があります。
日本やアメリカといった市場への便もよく、この産業が発展していくのに必要なインフラの
整備も進んでいることから、こうした養殖事業には、明るい見通しがあります。

観光業においては、美しい島々と海とがつくりあげる別世界に魅せられた冒険旅行者、
スポーツダイバー、海中写真家、ハイキングを楽しむ人々、スポーツフィッシングを
楽しむ人々、バックパッカーなどが増加しています。
2000年から2008年までの平均年間訪問者数は19,683人であり、総到着者数に占める
観光客・訪問者の割合は70.22%(年平均13,822人)となっています。これらは主に
アメリカと日本からの観光客です。
また、2009年からは中国・アジア等からの漁船員の入国が飛躍的に伸び、総到着者数が
47,555人となりました。その内訳は観光客が31.07%(14,775人)、漁船員が
56.67%(26,948人)と、その変化が顕著になってきています。

農業では、果物や野菜を栽培する小規模の自給自足が基本であり、余剰作物を地域の
市場で販売したり、大きな市場の小売業者に卸したりしています。また、グアムおよび
マーシャル諸島の地域市場向けに少量の輸出も行っています。こうした輸出品には、
コプラ、バナナ、柑橘類、シャカオ、ビンロウジ、根菜類があります。
今後、ミクロネシア連邦の農業が発展していくためには、土地利用協同組合の設立が
必須条件だと考えられています。

ファミリー・氏族

共有の概念、奉仕、および部族の長への貢献は、ミクロネシア連邦の島社会の文化と基本的な
経済活動の根本をなすものです。基本となる経済単位はファミリー(家族)ですが、
そのファミリー(家族)には世帯以外の者も含まれます。ミクロネシア連邦の島々に多く
見られる、より大きな単一社会集団はポンペイのナンマルキやヤップのピルングなどの
氏族で、こうした制度は今日もミクロネシア連邦の人々の生活に重要な意味を持っています。

宗教

島のいたる所にさまざまなキリスト宗派の教会があり、現地住民の95%以上がキリスト教です。

歴史
−先史時代

ミクロネシア連邦には数千年にもおよぶ長い歴史があり、一帯の島々は、その昔、アジアから
東へ、またはポリネシアから北へ海を渡って来た人々によって開拓されたと言われています。
また、言語学的、考古学的見解によると2千〜3千年前からすでに定住者がいたと考えられて
います。

最初の開拓者は、進んだ農業(栽培)技術と高度な航海知識を持つアウストロネシア語圏の
民族であったとされています。こうした人々は、東南アジアからヤップへ渡って来たと
考えられ、さらに南方のパプアニューギニア、ソロモン諸島およびニューカレドニアへ
移動する者や、これとは少し遅れて、キリバス、マーシャル諸島へ渡った者もいたようです。

ミクロネシア連邦の人々の口承から、現在ミクロネシア連邦に属している島社会の間には
親密な交流があったことがわかっています。たとえば、コスラエ(1400年ごろ)の
レロ遺跡とポンペイ(1000年ごろ)のナン・マドール遺跡の類似点等からも、こうした
昔の人々の交流がうかがえます。

−ヨーロッパとの出会い(スペイン、ドイツによる統治)

1525年、香料諸島(インドネシア)を目指して航海していたポルトガル人がヤップ島と
ユリシー島(ヤップ州)に上陸しました。その後、スペインの遠征隊が、ヨーロッパ人として
初めて、残りのカロリン諸島の島々と交流を持ちました。スペインは、ヤップに植民地政府を
おき、1899年までカロリン諸島上の領有を主張しました。しかし1899年、スペインは
撤退し、当時アメリカの支配域であったグアムを除いた地域での権益をドイツに売り渡し
ました。

その後ドイツ政府により、コプラ生産・貿易の発展がうながされました。しかし1914年、
日本海軍がマーシャル、カロラインおよびマリアナ諸島北部を軍事下に治め、ドイツの統治は
終わりました。

−日本の統治

1920年、国際連盟の委任による日本の統治が始まりました。先住民の人口は当時、
約4万人しかなかったのに対し、日本人の人口は、この時代の広範囲にわたる
植民政策により、ミクロネシア全体で10万人を超えました。この時代、サトウキビ、採鉱、
漁業、熱帯農業が主要産業となりました。

しかし、第2次世界大戦の終戦により、日本統治下でもたらされた繁栄が急に終わりを
告げました。ほとんどの産業基盤は爆撃によって廃墟と化し、島も人々も貧困に
突き落とされてしまったのです。

−信託統治領から独立へ

1947年、国連はミクロネシアの6つの地域、ポンペイ(旧称ポナペ)、コスラエ
(旧称クサイエ島 *当時はポンペイの一部とされていた)、チューク(旧称トラック)、
ヤップ、パラオ、マーシャル諸島、マリアナ諸島北部を信託統治領としました。
そしてアメリカは、国連安全保障理事会の決定により、「安全保障受託国」受任国として、
国連の定めるガイドラインのもとで信託統治を始め、住民の経済発展および自給自足を
支援していくこととなりました。

信託統治領の高等弁務官はアメリカ大統領によって任命され、さらにこの弁務官により、先に
あげた各地区の管理者が任命されました。1951年に内務省によって主権が承認されるまで、
この信託統治体制は、アメリカ海軍行政部の統治下に残りました。1978年7月12日に、
信託統治領下のトラック(現在のチューク)、ヤップ、ポナペ(現在のポンペイ)および
クサイエ島(現在のコスラエ)の4島の住民投票により、ミクロネシア連邦憲法のもとで
連邦制をとることが決定しました。国連はこれを認め、ここに国際連盟・国連による
長年にわたる管理下で失われていた主権を再び取り戻すことができたのです。

1979年5月10日、ミクロネシア連邦憲法が施行され、旧地区は連邦を構成する州となり、
独自の州憲法を採択しました。そして、連邦および各州の議員を選ぶための統一選挙も
行われ、全ミクロネシア連邦議会の議長であったトシオ中山が初代大統領に就任し、内閣を
組閣しました。ミクロネシア連邦議会が召集され、議長にはベスウェル・ヘンリーが選ばれ、
新国家のための法律が制定されました。司法制度は、連邦法・州法に準じて整えられました。
これを受けてアメリカは、移行期間(1979年〜1986年)に入り、政府機能をゆるやかに
移行しはじめました。

ミクロネシア連邦憲法施行を受け、アメリカはミクロネシア連邦とその各州政府を承認しました。
以降、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国は、アメリカとの
自由連合関係に移行し、自由連合は1982年10月1日に調印。1983年の国民投票による
承認後、さらにアメリカ議会の承認を経て、1986年11月3日に施行されました。
そしてついに1991年9月17日、ミクロネシア連邦は国連に加盟し、国際社会の一員と
なったのです。

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