病気療養の為米国ネバダ州に滞在しておりました初代ミクロネシア連邦駐日特命全権大使マサオナカヤマ氏が11月13日(日)に死去致しました事を、ここにご報告させていただきます。
70歳という年齢においても現役の国連大使という大役を担い、最後までミクロネシア連邦が向かう未来へのビジョンに想いをめぐらせていたマサオナカ ヤマ氏が、ふたたびニューヨークへ戻る事は叶いませんでしたが、実に長きに渡り国家へ奉仕して来た姿は、国内外を問わず多くの方々の心に焼き付いている事と思います。
1989年より初代ミクロネシア連邦特命全権大使として日本で在職しておりました8年間は、外交官としてまた日系人として、自己の役割を十分に理解し、両国の関係がいにしえの時代よりさらに進化したものとなる為、精力的な外交活動に励んでおりました。
在職中にご縁を結んで下さった多くの方々には、故人になりかわりましてここに深く御礼申し上げます。
折しも今期より来年にかけましては、戦後40年続いた米国との関係から自由連合協定を締結することにより、立憲民主主義国家として独立を宣言してから25周年という年回りとなります。
日本との外交は独立以前の1984年、初代大統領トシオナカヤマ氏自らの提案により開設された、ミクロネシア連邦東京連絡事務所を苗床に、すでに芽吹いておりましたが、独立宣言により大使館に進化してから3年後の1989年、歴史をちょうえつし正式な外交関係を結びました。それからかぞえて23 年。両国の外交はじき四半世紀に手の届くところまで歩んで参りました。あらためて意味深いものを感じている昨今であります。
時の流れは、東日本大震災をはじめとする自然災害、経済恐慌、国際関係の複雑化など、さまざまな問題を浮き彫りにしています。今このときグローバルな視点を持つ事の重要性を、多くの方々も感じていらっしゃるのではないでしょうか。
初代全権大使という架け橋としての役割を担ったマサオナカヤマ氏の、未来を見据えた一貫した思いは、世界で最も日系人比率の高いミクロネシア連邦が、太平洋の最も重要な隣人として、日本とのきずなを力強く結ぶことでした。
故人が切望していたこの思いを引き継いでいく事は、残された我々の努めであると考えています。
どうぞ皆様とのさらなる友情の結ばれますことを祈りつつ
ジョン フリッツ
亡きマサオナカヤマ氏に寄せて
お別れのご記帳にお運び下さいました方々には心よりお礼申し上げます。