
ミクロネシア連邦の環境等の調査に何度も行かれている鹿児島大学の長嶋教授が大使を訪問されました。
前回の調査報告書をお持ちになり、今年8月末に再度ポンペイに調査に行く予定をしていること等を大使に報告されました。
ミクロネシア連邦の環境等の調査に何度も行かれている鹿児島大学の長嶋教授が大使を訪問されました。
前回の調査報告書をお持ちになり、今年8月末に再度ポンペイに調査に行く予定をしていること等を大使に報告されました。
6月21日,三菱倉庫株式会社の港運事業部、船舶課課長、武藤彰夫様が大使を訪問されました。
武藤氏は逗子開成高校のPTAの会長をされており、、今年の3月、逗子開成高校の野球部の皆様からポンペイのリトルリーグに野球道具を沢山寄贈してくださいました。また、同高校では8月に花火大会を、10月には開成祭を計画されており、こちらもご招待をいただきました。 皆様に心から感謝申し上げます。
野球や色々な行事を通して、皆様とミクロネシア連邦の交流がますます深まることを心から願っております。
先日、日本赤十字社神奈川県支部の工藤孝志事業部長と山崎高多企画広報係長が大使を訪問されました。
この度、赤十字新聞 第840号の 「*もっとクロス!国際版」 にミクロネシア連邦の赤十字の記事が載りましたので、この新聞を大使にお持ちくださったのです。 記事の内容は次のとおりです。
“ ひと月余り前、日赤神奈川県支部の新社屋落成式に参列した折り、とても興味深い話を聞きました。 この式典にはミクロネシア連邦駐日大使ご夫妻も出席してくださったのですが、それには、こんなわけがあったのです。
およそ25年前、神奈川県内の大学に留学していたジョン・フリッツ青年は、知人の勧めで日赤支部主催の講演会に参加、水上安全法救助員と救急法救急員の資格を取得します。 同じ大学の学生だった後の大使夫人・百恵さんも、救急法救急員の資格を取り、これが、お二人と赤十字との縁の始まりとなりました。
卒業の時期を迎えてフリッツさんは、当時アメリカ統治から独立したばかりの故国に赤十字社を設立したいという夢を友人に語りながら帰国します。 しかしそれは、総簡単には進みませんでした。
数年後、駐日大使館の書記官として再来日したフリッツさんは、知人たちに協力を要請、これに応じて神奈川県支部が動きだしました。 調査団が結成され、ミクロネシアを訪れ大統領や政府機関、地域住民などに会い、支援を求める活動を展開したのです。
日赤十字社設立に向けた動きが加速し始めます。 翌年、同連邦はジュネーブ条約等を批准し、他方、同社設立準備委員会を4州に支部を設置して防災事業やボランテイア育成を開始いたしました。 この間、神奈川県支部の様々な支援活動も続けられていきます。
そして、2003年(平成13年)、フリッツ青年の夢がとうとう実り、正式にミクロネシア赤十字社が承認される日がやってきました。。。。。
最初はほんの小さなきっかけに過ぎなかったもの。それが、次第に人と人との絆を広げていき、大きな輪、力強い波動になっていく。 これこそ”もっとクロス!国際版”ではなかろうか、そう思い、とても心が動かされました。 ”
この記事を書いてくださった、副社長の大塚義治様、ありがとうございます。
元パプアニューギニア大使、現在、財団法人 国際協力推進協会専務理事の田中辰夫様と太平洋諸島センターの相馬貫一郎所長がご来館され、これからの太平洋地域の国々と日本の友好親善関係の発展促進に力を合わせて協力していくことを話し合われました。
JICAのシニアボランテイアとしてヤップにおられた細井 芳信さんが退任のご挨拶にお越しくださいました。
細井様お疲れ様でした。 ミクロネシア連邦のことをよく理解してくださっているお友達がそばに居てくださり、とても心強いです。これからご協力よろしくお願いします。