
いつも大使館の行事やイベントにボランテイアでお手伝いしていただいている斉藤君と大石さんが来てくれました。 ミクロネシアに興味を持って協力してくれている二人のような若い人達がもっとふえればありがたいと思います。
いつも大使館の行事やイベントにボランテイアでお手伝いしていただいている斉藤君と大石さんが来てくれました。 ミクロネシアに興味を持って協力してくれている二人のような若い人達がもっとふえればありがたいと思います。
東京都八王子市にある創価大学を表敬訪問し、山本学長、田代理事長らとお会いしました。 創価大学は、46ヶ国地域133大学と提携を結んでおり、毎年多くの留学生が学んでいる国際性豊かな大学です。 これまでもミクロネシア連邦からの留学生を受け入れてくださり、その卒業生は現在、ミクロネシア連邦に帰り、日本の政府機関に貢献しています。
今後、いかに国の人材を育てていくかが課題です。 歴史上、深い縁で結ばれた日本とミクロネシア連邦の両国に貢献できる優秀な後継者を育てていきたいと思っています。 世界から集う仲間と友情の輪を広げた人間性豊かな人材を輩出していけるよう、今後ますます大学との交流を深めさせていただきたいと思います。
この度は産経新聞の塩塚さんと{『冒険ダン吉』になった男 森 小弁}の著者、将口さん、そしてJTBの中里さんが来館されました。来年1月29日(日)から2月2日(木)にトラック諸島(現チューク州)を訪れ、ダン吉の足跡をたどるツアーを企画してくれました。このツアーには将口さんも同行します。
来年はちょうどミクロネシア連邦独立25周年であり、また、太平洋島サミットが開かれる年でもあります。この島サミットで日本政府は人と人の交流を促進する計画に力を入れてきました。産経新聞が企画した、日本との絆と歴史的つながりをたどるこのようなツアーはまさに人と人の交流なのです。
ツアーの詳細は下記をご確認ください↓↓
【番組HPより】http://www.tv-tokyo.co.jp/official/nihonshokudo3/
好評企画第3弾!今、世界中の人を虜にしている「日本食」。番組では、世界最北端・最南端の日本食堂、世界一高度の高い場所にある日本食堂、日本から遠く離れた日本食堂を捜索!そんな超秘境で「どんな日本食を出しているのか?」「なぜそんな世界の果てで日本食堂を開くのか!?」という謎を解明しつつ、そこにある日本人の人生ドラマに迫ります!
☆ミクロネシア 「宝島」 オーナー:大矢勇さん
607の小さな島々からなる連邦国家ミクロネシアの島の一つに、日本食レストランがあった。オーナーの大矢さんはミクロネシアに来て35年目。1人で店を切り盛りする。奥さんと娘は北海道でお店をしている。初めは熱帯魚の養殖をしようとここへ来たが、サメに全て食べられてしまい大失敗。自分に出来ることは何かないかと考え、始めたのが日本食レストラン。こだわりの逸品が、現地で獲れるココナッツを使った「ココナッツラーメン」。北海道のお店でもこのメニューが出されており、夫婦の絆をつなぐ一杯となっている。
70歳という年齢においても現役の国連大使という大役を担い、最後までミクロネシア連邦が向かう未来へのビジョンに想いをめぐらせていたマサオナカ ヤマ氏が、ふたたびニューヨークへ戻る事は叶いませんでしたが、実に長きに渡り国家へ奉仕して来た姿は、国内外を問わず多くの方々の心に焼き付いている事と思います。
1989年より初代ミクロネシア連邦特命全権大使として日本で在職しておりました8年間は、外交官としてまた日系人として、自己の役割を十分に理解し、両国の関係がいにしえの時代よりさらに進化したものとなる為、精力的な外交活動に励んでおりました。
在職中にご縁を結んで下さった多くの方々には、故人になりかわりましてここに深く御礼申し上げます。
折しも今期より来年にかけましては、戦後40年続いた米国との関係から自由連合協定を締結することにより、立憲民主主義国家として独立を宣言してから25周年という年回りとなります。
日本との外交は独立以前の1984年、初代大統領トシオナカヤマ氏自らの提案により開設された、ミクロネシア連邦東京連絡事務所を苗床に、すでに芽吹いておりましたが、独立宣言により大使館に進化してから3年後の1989年、歴史をちょうえつし正式な外交関係を結びました。それからかぞえて23 年。両国の外交はじき四半世紀に手の届くところまで歩んで参りました。あらためて意味深いものを感じている昨今であります。
時の流れは、東日本大震災をはじめとする自然災害、経済恐慌、国際関係の複雑化など、さまざまな問題を浮き彫りにしています。今このときグローバルな視点を持つ事の重要性を、多くの方々も感じていらっしゃるのではないでしょうか。
初代全権大使という架け橋としての役割を担ったマサオナカヤマ氏の、未来を見据えた一貫した思いは、世界で最も日系人比率の高いミクロネシア連邦が、太平洋の最も重要な隣人として、日本とのきずなを力強く結ぶことでした。
故人が切望していたこの思いを引き継いでいく事は、残された我々の努めであると考えています。どうぞ皆様とのさらなる友情の結ばれますことを祈りつつ
ジョン フリッツ
亡きマサオナカヤマ氏に寄せて
お別れのご記帳にお運び下さいました方々には心よりお礼申し上げます。